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「最後の真剣師」将棋のアマ強豪、大田学さん死去

Photo_9 通天閣の地下の将棋道場は今はすでに閉鎖されていますが,当時大田学さんを見かけた時は未だ健在でした。歌謡ショウの歌姫のポスターがべたべた張ってある地下の入り口を入ると、地下室らしい、ツンとすえた匂いが立ちこめていました。ここに一人で入るのは結構勇気がいったものでした。

こんな所に道場があるんかいな、と思い進んでいくと、ほぼテレビのふたりっこのイメージどおり、右に歌謡ショウの舞台、左に畳張りの道場がありました。
少ない客の道場には大田学さんが銀じいさながら座って師範という名の賭け将棋をされていました。
もう本当の素人相手の一局500円といったかわいいレートになっていました。

 「最後の真剣師」と呼ばれ、ドラマのモデルにもなった将棋のアマ強豪、大田学(おおた・まなぶ)さんが21日午前5時30分、大腸がんのため、大阪市の病院で死去した。92歳だった。

 50~60年代に賭け将棋で生計を立てる「真剣師」として全国に名をはせた。全盛期にはアマの公式戦には登場しなかったが、対戦相手を求めて青森から九州まで放浪し、各地で勝負強さを発揮した。77年に、63歳で第1回朝日アマチュア将棋名人戦(朝日新聞社主催)で全国優勝。初代朝日アマ名人になり、初めての“表舞台”で実力をみせつけた。

 神奈川県横須賀市生まれ。鳥取県倉吉市で育った。将棋を本格的に始めたのは30歳になってから。地元のアマ強豪の手ほどきで腕をあげ、真剣師の生活に入った。

 70年代に入り、高額の賭け将棋の機会が減ってからは、大阪・通天閣近くの将棋道場で1局500円で指導していた。96~97年に放送されたNHKのドラマ「ふたりっ子」では、ヒロインに将棋を教える「銀じい」のモデルになり、一躍有名になった。

昔といってもほんの十数年前ですが,大阪の街の中にはこの大田さんを頂点とするような将棋の真剣師がいたものでした。大道将棋もそのひとつ。一つの文化といってもいい庶民の一側面が消えていっています。

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