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2011年1月

吉村昭『間宮林蔵』


シャナ(紗那村)、ナイボ(内保村)、フレベツ(振別村)と言った、北海道の地名を彷彿とさせる響き、サハリン=樺太という土地はしかし日本の支配下にあった戦前の人とその時代を体験していない戦後の人との意識では全く異なります。 江戸時代、当時原住民が実効支配していたその地を探検し、世界で初めてサハリンが島であることを発見した日本人が間宮林蔵でした。

郷里の近く、日本最北端の地・宗谷岬から稚内に向かう緩やかな湾の中に、間宮林蔵の石碑(間宮林蔵渡樺出港の地)があります。
子供のころは、その前の道路を通るたびに両親から氏が立派な人だったと教えられたものでした。昔の教科書には載っている偉人、現代の教科書にもまだ載っているのでしょうかね?
教科書には載っていないとしても当地稚内では当然ながら有名な人物です。

晴れた日には、樺太の島影がはっきりと見えるその石碑の地から間宮は樺太を目指したのでした。

その目的は幕府の命を受け、樺太が島なのか中国大陸と陸続きの半島なのかが、世界地理上の最後の謎とされていたからで、それを解明することは国防的に重要なことだったのでした。
この樺太の地理の謎については、当時の列強オランダやソ連の探検家たちも我先に解明しようと挑んだのですが、いずれも中国大陸との海峡が水深1メートルという浅瀬と鬱蒼とした深い森そして極寒の気候が探検家の接近を拒絶しつづけたのでした。

そんな時代、幕府の令にてアイヌを引き連れ命がけで樺太を探検した彼はついに樺太が島であることを発見したのでした。

この農民上がりで、しかしながら健脚で頑強な体と強い精神力を持った彼の一生を著者は緻密な調査で丁寧に追っていきます。

間宮も一度では成功せず二度にわたり探検をします。極寒の気候、現地人(韃靼人)との交流や支援の必要性から、生活に慣れたアイヌの協力が必要でした。彼らと生活を共にしていた間宮はアイヌ語も話せ、彼らの協力を得ることが成功のカギでした。

ただし、この世界初の発見は、鎖国下の日本から諜報家であったシーボルトの手を経てヨーロッパへと渡りそして世界に広められたというのは皮肉でした。
後年開国後にヨーロッパの文物がもたらされた明治期の日本に、地図にしるされた形で「間宮」の名前は戻ってきたのです。
綿密な取材と、素晴らしい構築力で歴史を眼前に甦らせてくれる一冊でした。

[参考]
間宮林蔵の世界へようこそ
本と映画、日記のblog ・・・おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば(徒然草)-吉村昭 間宮林蔵

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景勝のシーライン、湘南国際マラソンを走破

Shonann生まれて二度目のフルマラソン・湘南国際マラソンを完走しました。 完走と言いましたが、前回(2007年の福知山マラソン)同様フルマラソンの距離に打ちのめされ、走りを中断、途中から歩いてしまいました。大磯ロングビーチをスタートし西湘バイパスを一路江ノ島を目指して冬ながら無風・晴天、まぁかなり乾燥していて注意報が発令されていましたが、それなりのランニング日和の中を沿道の声援を受けながら走り、折り返し点を越え湘南の海に浮かぶ見事な富士山の風景を楽しんだ後の28km過ぎ、左足の親指がシューズの内壁に突っかかって痛みが生じたのでした。走り続けた熱で足が膨張したのだと思います。親指に走る激痛、その痛みに耐えながら一キロ少々走ったのですが、その痛みの影響でランニングフォームのバランスが崩れたためか、膝にも痛みが出てきてさらに太腿の筋肉も石のように硬くそしてだるくなりました。ついに走りを止め路肩に止まって、靴の紐を締めなおし左足の親指が当たるとしても強く当たらないように、痛みを緩和できるように調整しました。どうにか痛みを軽減できたのでまた走り始めました。しかしそのため、靴紐の左右の締め付けバランスが異なってしまい走りのバランスが崩れたのと、一旦歩いてその楽チンを経験してしまうと人間は中々元の苦しさを継続できなくなってしまうのです。そんな精神的な弱さがモロに出てしまうのがマラソンです。


Dscf4041前回同様、4時間半で走ることを目標にしていたのですが、もろくも崩れ、五時間以内を目標にスイッチ、一旦歩くと太腿の筋肉痛が襲い掛かってきます。三分歩いて7分走るというミックス作戦に切り替えました。
歩くまでは、1キロ6分ちょっとのペースだったのが、このミックスに切り替えてから1キロ8分半から9分くらいに、なってしまいました。一キロずつこなすのが、なんとつらいことか。
上のiPhoneアプリRunkeeperのグラフにスパイクのようにパルス状になっているのが歩いた記録、機械は無常にも正直です。


Dscf4047
嬉しかったのは、完走の証のフィニッシャーメダルをもらえたこと。そんな賞があるとは思っていなかったので首にかけてもらって、疲れがスーッと引いていきました。これを期にもう一度、フルに挑戦する気になってきました。



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[140レビュー] 初手▲6八王 マイナビ女子オープン準決勝 斎田晴子女流 四段-石橋幸緒女流四段

石橋vs斎田戦、宣戦布告初手▲6八王にもたじろがず悠然とゴキ中に組立てる斎田、女流棋会両重鎮による熱戦。マイナビ杯は高賞金でプロなら是非獲得したいタイトル。序盤から力戦になだれ込む。攻める石橋に対して守り駒で反撃の斎田。王が薄くなり強く踏込めず。的確に寄せ石橋が勝利。

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駅 STATION -- 高倉健

高倉健さんの映画は、セリフが少ないし気の利いたセリフもないので、よほど気分が盛り上がった時にしか見ないのですが、この寒い冬の風に誘われて見てみました。 
「駅 STATION」、実は八代亜紀さんがラジオ番組に出ていてこの映画を紹介していたのがきっかけ、彼女の名曲・舟歌がメインシーンでたっぷりと使われているんです。
ストーリーとか含蓄とかは横においていい映画、北海道の冬のシーンの美しさ・駅・ディーゼル車、高倉さんと倍賞千恵子さんの表情・語り、そして舟歌が流れる、懐かしい昭和ってこうだったなぁと感慨深い印象が残るだけで十分な映画です。

高倉健さんは、語っています。「主役を好きになれないと演技ができないんです。鳥肌が立つ、それがないとダメなんです。なぁなぁでとっていたりすると心に残るシーンは撮れないんですよね。」
「好きなスタッフに見つめられる時に、ブルッと震えますね」、カメラを向けられ囲まれて自分の演技をさらけ出す、降旗康男監督への信頼とその期待に震える撮影、その深さが映像美と重なり独特の映画世界を築き、時間を30年巻き戻してくれます。


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関西将棋会館道場にて指し初め、久保2冠の指導対局も観戦

219294782関西将棋会館道場にて指し初めに行ってきました。第一局、相手は三段の腕前、四間飛車を選んできました。こちらは急戦を目指しますが、相手が受け主体だったため中央(五筋)の位を確保、袖飛車から角頭を攻めます。飛車角交換に持ち込み攻めも続いたのですが、相手の二枚角がなかなかの迫力。これを押さえ込めるかどうかが、勝負のポイント。しかし相手は銀桂を集中させ殺到の構え。押さえ込むことは困難となったため寄せ合いに持ち込みました。これが奏功してどうにか勝利、年初の幸先の良い一勝となりました。
この日は久保利明二冠が指導対局の日、二時ころになったので四階に行ってみると三人の方が教えていただいていました。そのうちの一人は女の子、いいですねぇこういう若い女の子が将棋を指す姿、がんばってほしいものです。また著書「久保利明のさばきの極意」のサイン会も行っていたようです。
219346746もどって第二局、相手は二段、戦型は角替りでこちらは後手で腰掛銀、先手の相手は繰り出し銀の体勢。こちらは6四に自陣角を打ちます。この角を軸に飛車を切って馬を作る強攻を仕掛けました。うまく成果を挙げたのですが、相手は自陣飛車を打って強守。中盤で銀・香の使い方が非効率だったようで、攻めあぐねました。逆襲にあい際どかったのですが競り負けました。惜しい敗戦でした。

第三局は、研修生の服部君という三段の子。多分小学生だと思うけど、強い。横歩取りから飛車を切る変化で責められ、定跡をうる覚えの当方はあっというまに攻めこまれる。短手数で敗退。研修生だけあって、さすがに定跡の勉強がすごい。短手数でしたが今日一番印象に残った対戦でした。彼はがんばってプロになれるのでしょうか? がんばってほしいですね。(終局写真ナシ)
219366408第四局の相手は二段、石田流向かい飛車から、攻め込まれ角損の序盤。まずい流れだったのですが、どうにか相手の飛車を捕獲でき、中盤で盛り返し。相手のミスもあり、逆転できました。

最後の第五局(終局写真ナシ)、初段の方でごきげん中飛車で向かってきます。この将棋も中盤で一気に不利に。飛車でポロポロ駒を取られたのですが、こちらから二枚の角で圧力をかけます。それがどうにか成果を挙げ始め、流れは五分に。終盤は飛車を捨てて、美濃囲いに迫ります。際どかったのですが、即詰みに仕留めることができ大逆転勝ち。

この日は結局、三勝二敗の結果。久しぶりの道場なので、まずまずの成果ということにしましょう。
なお将棋世界持参で対局料が半額になる(一回だけ)のでお得でした。

関西将棋会館は、お客さんがたくさんで活気がありました。王将戦の関西対決もあり、関西の将棋界は今年も元気です。

久保利明のさばきの極意

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[PS] 服部慎一郎くん、小学館学年誌杯争奪 全国小学生将棋大会で大活躍したね!

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最古の将棋盤が出土! 出雲市高岡町 高浜Ⅰ遺跡

島根県教育庁埋蔵文化財調査センターが最古の将棋盤を出土したと発表しました。
発見された将棋盤と駒の写真も掲載されています。
従来発掘調査から、将棋の駒は多数発掘されていますが将棋盤の発掘は少なく、今回の発掘が最古のもので、推定1500年前後の時代のものとされています。
なぜ将棋盤の発掘は少ないのか? rtfの個人的な見方ですが、古代~中世において木は貴重な資源、木簡も一度使ったものをまた削りなおして何度も使うというリサイクルが行われていたようです。つまり将棋盤のような体積のある木は大変貴重で、使わなくなってからも割ったり削ったりして他の用途に転用されていたと考えられます。

今回の発掘は、中世の将棋文化を探る貴重な発見、庶民文化・芸の世界としての将棋の歴史解明が進むと嬉しいかぎりです。

長文になりますが、参考に島根県教育庁埋蔵文化財調査センターの報告内容を抜粋します。


将棋盤について
①将棋盤は破損しているため全体の1/4程度しか残存していない。現状では長さ38.1(5mmの突起含む)cm、幅8.8cm、厚さ1cmと長さ37.6cm、幅5.7cm、厚さ0.85cmの2枚の板材となっている。表面には9マスのマス目が施され、マス目の大きさは約4.2cm四方である。側面には目釘穴が認められ、脚もしくは台座のようなものを組み合わせて使用していたものと考えられる。
②将棋盤の表面には刃物等による擦痕が認められることから、将棋盤として使用されなくなった後に、まな板等の別のものに転用されたものと推測される。
③年代については共伴した木簡に「永正三年(1506年)」の記載があることと、AMS年代測定の結果では15世紀半ばの値を示していることから、15世紀中葉~16世紀初頭頃と考えられる。
3)意義
①今回発見された将棋盤は共伴する遺物や自然科学的分析から15世紀中葉~16世紀初頭と推定され、現在確認されている将棋盤としては最古の出土例となる。
②将棋の駒の出土例は奈良県興福寺旧境内や福井県一乗谷朝倉氏遺跡など比較的多く認められているが、盤については東京溜池遺跡から18世紀代の将棋盤が1点出土しているだけであり、今回全国で2例目の出土例となった。
③近世以前の将棋盤についての文献や絵図は少なく、藤原定家の日記『明月記』に盤の記述があり、12世紀末~13世紀初頭には将棋盤が存在していたと考えられている。また、13世紀初頭の『鳥獣戯画』には紙の盤で将棋を指している絵があり、紙に条を入れて盤の代わりにして使われていたことも考えられているが、その実態については不明瞭であった。今回、中世の将棋盤の発見は、盤の存在や形状等がわかる資料となり、将棋の歴史から社会史を考える上で貴重な発見といえる。

将棋の駒はなぜ40枚か

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