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2011年4月

大きな連勝、森内九段が名人戦第二局の急戦矢倉の戦いを制す

名人戦第二局は、森内九段の連勝となりました。前回の第一局のブログで「次の二局目にもし森内が勝つようなことがあれば流れは一気に森内になるだろう」と書きましたが「そんなことを許す羽生とは思えない」とその可能性が低いと考えたのですが、それが現実となりました。
先手の羽生名人が、なんと居玉のまま攻めるという超急戦矢倉、そして一歩も引かない強い受けを森内九段は見せました。すごかったのは、羽生の▲5一飛と相手王に対して飛車を離して打たなかった手、そして森内の△5三金と誰もが予想しなかった際どい受けの妙手、短手数で結果は一方的になりましたが、そこに至る一手一手が思いがけなく見るものを魅了しました。
これで森内の二連勝、一気にシリーズの主導権を握りました。羽生名人がどのように切り返すのか、これはこれでファンにとって楽しみです。

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今シリーズの流れはいかに、森内九段先勝の今期将棋名人戦

森内が初めて名人を獲得した2002年の第60期から毎年羽生か森内が名人戦に登場している。この2強を軸に激しい名人争いが10年近く続いているといえる。第60期から森内は5期、羽生は4期、名人位についている。
今年の流れとしては、渡辺竜王が登りつめてくる可能性があったが、それを阻止し二人の永世名人が直接衝突となり、二人の独占の流れを継続させた。
この第一局、面白かったのは控え室の予想が中終盤ほとんど当たらなかったこと。将棋の難しさのひとつに形勢判断があるが、一流のプロであってさえこの二人の次の一手が当たらないというのは理解に苦しんだり、見ていて面白かった。
羽生世代にとって幸運だったのは、羽生だけではなく森内・佐藤を代表に互角の力のある棋士が数名存在していること。これは谷川や渡辺の世代には無い特質。もちろん厳しい競争があったが、切磋琢磨の度合いは果てしなく深いものだった。
その極みがこの一局にあらわれ理解不能状態のHMワールド(Habu Moriuchi)確立に至ったのか?

対戦成績で押されていた森内が先勝したことで、シリーズの興味は一層高まった。次の二局目にもし森内が勝つようなことがあれば流れは一気に森内になるだろうが、そんなことを許す羽生とは思えない。先手が勝ち続け最終局に縺れ込むような激しいシリーズになってほしい。

森内俊之(もりうち・としゆき)九段は神奈川県横浜市出身の1970年10月10日生まれの40歳。勝浦修九段門下。1987年5月、16歳で四段。棋士番号は183。2002年、初タイトルの名人を獲得。2007年、十八世名人の資格を得た。タイトル獲得は竜王1、名人5、棋王1、王将1の計8期。棋戦優勝は12回。A級・名人は連続16期。

羽生善治(はぶ・よしはる)名人は埼玉県所沢市出身。1970年9月27日生まれの40歳。二上達也九段門下。棋士番号は175。
85年12月18日、中学3年の15歳で四段昇段。89年に初タイトルの竜王を獲得。96年2月に史上初の七冠王となった。
2007年12月に最年少、最速、最高勝率で通算1000勝を達成。08年、十九世名人の資格を得た。タイトル獲得は計78期。名人は通算7期。棋戦優勝は計37回。オールラウンドプレーヤーで、さまざまな戦型を指しこなす。名人・A級は連続18期。

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陸奥国府を襲った西暦869年貞観年津波(じょうがん)、過去に学べなかった東京電力

3代実録(日本紀略、類聚国史171)の貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)の記録に、 次の注目すべき災害の発生が記されています。「陸奥国地大震動。流光如晝隠映。 頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。 城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其数。海嘯哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。 泝徊漲長。忽至城下。去海数千百里。浩々不辧其涯俟矣。原野道路。惣為滄溟。 乗船不湟。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。」  内容は、光を伴った鳴動と共に大地震が起き、 次いで押し寄せた津波は平野の奥深くまで侵入して陸奥国府の城下まで達し、 1000名を越す犠牲者が出た、と解読されます。

東北大学大学院理学研究科教授の箕浦 幸治さんが、報告しています。

相前後して、東北大災害制御研究センターは1日、仙台市青葉区の同センターで東日本大震災に関する報告会を開き、今回の津波について、仙台の沿岸部で過去最も大きな被害を出したとされる869年の貞観地震津波と同規模と報告しています。(河北新報)

ビデオやカメラなど映像を記録する術の無かった当時、文字により必死に大津波の惨状を伝えようとした思いが文章から伝わってくるようです。千年以上も歴史を遡った記録を史実と受け止めるのか、誇張された語りととらえるのか難しいところですが、今回の東日本大震災は、まさに貞観地震津波が史実で、それと同規模の被害をもたらしたことがわかりました。

そして、以前原発の耐震性評価のための専門家委員会の中で地質学の専門家である独立行政法人「産業技術総合研究所」(茨城県つくば市)活断層・地震研究センターの岡村行信センター長が、869年に三陸沖を震源とする貞観(じょうがん)地震が発生した際、大津波が仙台以南にも押し寄せたと指摘していたことも掘り起こされてきました。このあたりの経緯は白老の自然情報さんのブログが詳しく伝えています。

また被災地の状況を日々伝えられている田力ブログ2さんの昨年12月の記事によると、「仙台市では平成17年度に宮城県沖地震により想定される津波の遡上シュミレーションを行っており、これによるとやはり海岸から5km程度、津波が遡上する結果が得られている」と、地元では今回の津波を起こりうる被害ととらえ研究されていたようです。

万が一にも事故を起こしてはならない原子力発電、この福島の事故も津波の大きさを千年の時間のスコープでとらえたならば、発電所設計に活かせたと思います。今回の問題も非常電源が水につかって作動させることができなかったのが大きな問題といわれていますから、多分数十億円規模の追加投資を行い津波をかぶっても非常電源の動作を確保できるようにしておけば今回のような最悪の事態を防げたと言えないでしょうか?

前記事でも想定外と言ってはいけないと書きましたが、想定すべき過去の事例があったのです。

過去に学べなかった東京電力、過去に素直に目を向ける大切さを見失っていたと言わざるを得ません。
 

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